一生、ひとりの大工として生きる
いもと建築の創業者である井本雅弘は、手に職を持たせたかったという父親の意向により、大工のところに修行に行かされました。学校を卒業したばかりの若者・雅弘にとっては、右も左もわからないまま親元を出て、遠い岐阜市での修行はなかなか大変なものだったのだそうです。その後、高山に戻って社寺の建築に携わっている親方のもとへと入ります。そこで長く勤めたのち、独立することに。それが、いもと建築の始まりでした。厳しい親方に教えられたため、飛騨高山の伝統的な日本建築について深い知識を得ていた雅弘は、寺社をはじめ、伝統的な飛騨建築を希望する住宅の施主からもオーダーをもらうようになります。経営者というより、ひとりの職人と表現した方がよく似合う雅弘は、今も毎日、工場に行って、かんなや玄能(げんのう)を手に、大工仕事に勤しんでいます。