受け継がれる技

インタビュー特集

飛騨高山の大工の手技が21世紀に受け継がれるということ

いもと建築の創業者は、もともと神社仏閣の建築に関わる宮大工でした。
伝統的な日本建築に詳しく、地域性に秀でた建築に強いコネクションと経験があるのは、こうしたバックボーンがあるからです。
そして50年以上にわたって蓄積されたこの技術を、新しい世代がつなごうとしています。それがいもと建築の2代目です。

職人の技術が世の中からどんどん消えようとしている現代において、飛騨高山の大工の技術継承という貴重な事象に注目した筆者が、
2人のインタビューを敢行し、ここに特集として掲載させていただくことにしました。

一生、ひとりの大工として生きる

いもと建築の創業者である井本雅弘は、手に職を持たせたかったという父親の意向により、大工のところに修行に行かされました。学校を卒業したばかりの若者・雅弘にとっては、右も左もわからないまま親元を出て、遠い岐阜市での修行はなかなか大変なものだったのだそうです。その後、高山に戻って社寺の建築に携わっている親方のもとへと入ります。そこで長く勤めたのち、独立することに。それが、いもと建築の始まりでした。厳しい親方に教えられたため、飛騨高山の伝統的な日本建築について深い知識を得ていた雅弘は、寺社をはじめ、伝統的な飛騨建築を希望する住宅の施主からもオーダーをもらうようになります。経営者というより、ひとりの職人と表現した方がよく似合う雅弘は、今も毎日、工場に行って、かんなや玄能(げんのう)を手に、大工仕事に勤しんでいます。

現代建築の良さと日本建築を融合させたい

名古屋で建築の専門学校を卒業したのちに、一旦高山に戻って大工の修行をするものの、考えるところあって東京で建築会社に就職した息子の井本俊介。営業や設計に携わること7年がたち、結婚を機に高山に帰ることに。28歳になっていました。父の雅弘は、大工仕事を継げとは一言も言っていませんでしたが、俊介は飛騨高山の建築の素晴らしさに囲まれて育ったからでしょうか、父の仕事を継ぎたいと自ら申し出て、父のもとで大工の修行をしなおします。一方で、東京の建築会社で学んだ現代の日本建築の良さを、飛騨高山の伝統的な建築物に活かせないかというチャレンジ精神をも持ち続けていました。現代の利便性や快適性をうまく融合させられれば、それが21世紀の街並みを作っていくかもしれないからです。日々、大工として実績を重ねながらも、古民家移築や修復からは旧きを学び、現代建築の活かしどころを見出す努力を続けています。

取締役会長 井本 雅弘
取締役会長井本 雅弘
代表取締役 井本 俊介
代表取締役井本 俊介

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